2015年4月5日日曜日

「はじめ女房が聞きたがり……」

 毎月一回、地元で友人がやっているバーにて、落語のイベントが開催されている。毎回、春風亭吉好という二つ目の噺家さんと、それからゲストが一人。この吉好さんという方、ユニークな創作落語が人気で、ある時期にはCDの売上が、某ランキングの落語部門で一位になったそうな(ちなみに、どのくらい売れているのかイメージするために……吉好さんの一位になった時の二位は、談志師匠のCDだったとか)。で、吉好さんが毎回、創作を一本、古典を一本、話すのだけれども、前回の古典が「天狗裁き」。これが実に面白かった。
 お話は、だいたいこんな感じ(以下、Wikipediaよりコピペコピペ……)


 家で寝ていた八五郎が妻に揺り起こされる。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」 八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えるが、妻は納得せず、隠し事をしているのだと疑う。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう」と押し問答になり、夫婦喧嘩になってしまう。
 長屋の隣人が夫婦喧嘩に割って入るが、経緯を聞いた隣人も夢の内容を知りたがる。「そもそも夢は見ていないので話しようがない」と八五郎は言うが隣人は納得せず、またも押し問答から喧嘩になってしまう。
 今度は長屋の大家が仲裁に入った。大家もやはり八五郎の夢について知りたがる。八五郎は「夢を見ていない」と弁解するが大家には信じてもらえず、「隠し事をするような奴はこの長屋から出て行け」と言われてしまう。
 八五郎が立ち退きを拒否したため、奉行所で詮議されることとなった。奉行は八五郎に好意的だったが、やはり八五郎の夢に興味を持ち、見た夢を聞き出そうとする。八五郎は「夢は見ていない」と答えるが奉行の怒りを買い、縛り上げられて奉行所の庭木に吊るされてしまう。
 吊るされた八五郎が途方に暮れていると、突風が吹いて八五郎の体が宙に浮く。気が付くと山奥にいて、目の前には大天狗が立っている。奉行所の上空を飛翔中、理不尽な責苦を負わされている八五郎に気が付いたので、助け出したのだと大天狗は言う。大天狗もまた八五郎の夢のことを聞きたがる。「夢を見ていないので話しようがない」と八五郎は今まで同様に弁解するが、やはり信じてもらえない。大天狗は怒り出し、八五郎の喉元につかみかかる。首筋に大天狗の長い爪が食い込み、八五郎は苦しみ悶える。
 気が付くと八五郎は家で寝ていて、妻に揺り起こされていた。うなされていたようだ。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」


 ようするに、ヘーゲルです。人は他者の欲望を欲望する、ってやつですね。コジェーヴ経由で、多くのフランスの思想家が同じようなことを言っているわけだし、R・ジラールの思想の根っこにあるのもこの発想なわけだね。あーいやいや、私は別に「落語って、哲学や思想のテーマにもなるんですね」ということが言いたいわけではないです。
 むしろその逆。

 西洋の哲学や思想の世界ではヘーゲルだのなんだの引き合いに出さなければ語れないことが、日本ではすでに江戸時代に、しかも庶民の間で知られており、また、語られていた、という事実。

 「知識人と大衆」ということが、ここ何年かの私の研究テーマの一つなわけだけれども、日本では特に、大衆の知識人嫌いというのが顕著なわけです。そういう事情の背景の一つにはこういった、日本に特有の庶民的な知、という伝統があるのではないかと。わざわざ偉いセンセイがたに教えていただかなくとも……というわけですな。いや、世界中どこに行っても、どんな時代でも、庶民とか大衆とか呼ばれる人々には独特の知恵があるんじゃないか、という意見もあるだろう、というかそう考える方が当たり前なんだろう。でも、私としてはちょっとこだわってみたい(あ、別に右寄りとか保守的とか、そういうことじゃないですぞ、念のため)。なんとなく日本は別なような気がするなぁ、いや、なんとなく、だけどね。漠然とした言い方になるけれども、現代の事情は置いといて、伝統的に日本って、庶民だとか大衆だとか呼ばれる人たちがありがたがるものと、社会の上位に位置する人々がありがたがるものとの間に、とっても大きな断絶があったんじゃないかと、そんな風に思うわけです、なんとなく、ね。
 で、このことは、最近何かと話題の「反知性主義」について考える際にもヒントになりそうな気がします。ちなみにこの問題について語られる際、全世界的規模で進行中の問題として論じられることが多いようだけれども、私としてはちょっと待て、と言いたい。似て非なる、というやつだ。日本の反知性主義については、少なくともさしあたっては、もうちょっとローカルな問題として考えておいた方がいいような気がする。で、さらにちなみに言っておくと、日本におけるこの問題の根っこにあるのは、やっぱり日本特有の知識人のあり方にあると思ってます。まぁ、この話はいずれまた。

 以上、落語家ならぬ落伍者による、落語についての一考察でした。

 なお、落語イベントに関心のある方はご覧ください。  

http://bar-bamboo.com/information.html

 ちなみに次回は2015年4月9日 、21:00からです。

 おあとがよろしいようで……。